東京殴り込み

 

5月19日 

一昨年摩周湖で知り合った埼玉桶川の甲田さん宅へ。
この人は看板業をやっているので仕事を手伝いながら作戦を練る。

道も分らないままひたすら東京を進む
我が北帰行も車輪を付け変えたり運転席を豪華にしたりバージョンアップ。
大きな方向指示器も作ってあとは東京へ乗り込むだけだが、

これがなかなか決心がつかなくズルズルと日が経ってゆく。

 

6月4日
いよいよ東京へGO !!
なんとしても展覧会のきっかけをつかまなければならないとあせるのだが、
まるで敵の大機動部隊に向って単機魚雷を抱いて飛び立つ97式艦攻であった。
戦果やいかに???
皇居の辺りで早々と警備員に止められ暗雲が漂う。

PM2:30新宿通りへ。

車の量もすさまじく右折は出来ずひたすら直進・左折のくり返し。
ようやく神田錦町へ。
宮本さんの事務所で話を聞くもあまり芳しくなく

明日直接銀座の松屋デパートへ乗り込むことにして
今夜の家ぐらを求めて森の見えるほうへ。
一体何処で寝たのか今だにわからないが、たぶん神宮外苑あたりだったのだろう。
翌日から松屋デパートをかわきりにあちらこちら当たってみるも全て不発!!
改めて現実の厳しさに打ちひしがれ 

このまま3日程夜が明けないで欲しいと思いながら疲れ果てて眠る毎日であった。
ああ―夢はむなしく消えてしまうのか・・・・・・・・

ところが救いの神はいたのである。
偶然にも事務所のすぐ近くに「週刊プレイボーイ」の分室があって
昨秋上高地で取材を受けた時の記者岡野さんを訪ねた。
そのうち副編集長の福川さんという人が俺の絵や旅を大変気にいってくれ、
質に入っている絵の金までポンと出してくれたのだ。
「死中に活を求める」魚雷は命中したのだ!!
東京に居る事2週間。こうして集英社の協力を得ることが出来た。
展覧会の夢もこれで期待が持てそう。

耕運機も「三菱」にはあっさり断られたが、

「ヤンマーディーゼル」が新車を提供してくれることになり、
ここでCT-63型からYR-65型へと愛馬変換。
さあこれで気分も新たに旅が続けられるぞ。

 

7月 

東海道を西に向って出港!!

 

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