ふたたび信州へ


8月11日 上田よりR143を青木峠へ。
見えた!!前方に北アルプスが!!「おーい俺は生きて帰ってきたぞー」と

何度もアルプスに向って叫ぶ。

あくる日島々の松本電鉄。

「やい!!1日遅れたな」と懐かしい顔が次々とあらわれる。
パンクその他修理万全で上高地へGO!!
さあ又 釜トンネル。今度は信号でなく係員による一方通行。
お盆休みで車がひしめいているが

最後尾から赤い輪っかを肩にかけてギアをセコンドで発進。
トンネルを出るともう信じられないほどの大渋滞。!!
あちこちでおっさん達が立ちションをしている始末であった。
上高地をベースキャンプに

霧ケ峰、美ヶ原、木曽、伊那、八ヶ岳と心ゆくまでめぐり、
落葉松の葉もすっかり落ちた11月仲間とお別れパーティーをして松本へ。
もうすぐ2度目の冬。
弘前に負けずおとらず寒いこの地で春を待つ事になった。


絵を質に入れたり、夜逃げをしたり、いろんな事があったが 

明けて1973年3月16日一路白馬へ出港。

 

3月23日AM5:00 あまりの寒さに橋の下からダンボールや板を集め

焚火をしながら朝焼けを待つ。
AM5:50 白馬、五竜、鹿島槍がピンク色にそまってゆく。
久しぶりに見るモンゲンロート 素晴らしい。
絵も完成し、かねてより招待を受けていたロッジ「新雪館」へ。

温かい歓迎を受け、
うまい酒「白馬錦」を飲んだり岩魚を取って食べたり楽しい毎日であった。

 

4月 ようやく春の日差しが訪れるようになって杏の里更埴へ。
観光客でごった返しているこの地で、今思い出してもおかしくなる事があった。
絵を描いている向かいの畑でスキヤキを囲んで

15人くらいのパーティーが盛り上がっているが、
そこは昨夜俺が野糞をした所だった。
もちろん大きな石をかぶせておいたのだが・・・・・・
気になってそっと近寄ってみると 見よ!!
可愛らしい娘がその石の上に腰かけて、

さかんに食べたり唄ったりしているではないか・・・・・・・・

 

5月に入り富士五湖をめぐり伊豆半島へ。
旅はなんとか進んでいる。作品も増えてきている。しかし・・・・・
展覧会をどうやって開くか頭を悩ませている。
東京で唯一の頼りは宮本さんだけだ。
この人は今 神田で商店企画の会社をはじめているのだがデパートで展覧会という途方もない頼みには少々あきれているようだ。
こうなったら東京に乗り込むしかないのかなあ・・・・・・・・
達磨山から富士山を眺めながら毎日ボンヤリと物思いにふけっていた。

 

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