ハイビスカスの花咲く沖縄へ

 

12月19日、頬に当たる風も暖かくなってきた頃 与論島が見えてきた。

懐かしい。4年前に写真学校の友達とキャンプをした島だ。

目を凝らすとすぐ近くに沖縄の辺土岬が見えている。

明けて1974年1月 沖縄の最北山原奥の村へ。

ここは話に聞いた通り見事な赤瓦の集落がありF15号に描くつもりだ。

寄ってくる子供たちも非常に人なつっこい。

夕方になると養命酒一杯を賞品にしてビー玉遊びに熱中したものだ。

絵も完成し南下して今帰仁へ。

こうして絵を描いていると次から次へと女子高生や近くの学校の男がやってくる。

男たちは皆一人前にタバコを吸っている。高校生だと思ったらこれが中学生。

それも俺の吸っているバイオレットより高いハイライト・セブンスター、

はてはウインストンまでプカプカやっている。

「お前ら一日に何本くらい吸ってるんや?」と聞いてみると

普通は一箱、暇な時は二箱といいやがった。

それでも根は純朴な奴らで近くの畑からサツマイモを掘ってきて浜で焼いている。

もらって食べてみるとこれが実に美味かった。

ピョン子は今さかんに草を食べている。

今ではすっかり慣れてほったらかしにしておいても暗くなると帰ってくる。

3月に入り本部半島備瀬の浜へ。

目の前には伊江島が横たわり、特徴ある立塔がそびえている。

潮が引くと楽しい磯遊び。

200mばかり歩くとサンゴ礁の突端で波の砕ける断崖は迫力満点。

サザエを焼いて小魚を天ぷらにして最高の夕食であった。

今夜は感動的な光景を見せてもらった。

横浜方面へ集団就職する中学生を見送るために近所の人が集まり

浜でかがり火をたいている。

やがて暗い海面に静かに灯をつけながら船がやってくる。

人々は民謡を歌いじっと船を見つめている。

同級生らしき3人も自転車を岩かどに止め船を見ていた。

船は伊江水道を静かに進み沖縄から離れてゆく。

デッキにいる彼らはとめどなく涙を流しているだろう。

無理もない。

彼らにとっては初めての旅立ちなのだ。

辺土岬でも今夜はかがり火がたかれ

多くの涙が流されるのであろう・・・・・・・・・

こうして沖縄をめぐる事4ヶ月。

4月18日 再び九州に向って北帰行はフェリーに乗る。

さようならエメラルドの海。白いサンゴ礁。

 

 

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