北の大地に秋が来る

 

阿寒湖は自転車野郎どものコミューンだ。各地から集まってきた自転車野郎たち、多い時で三十人くらいが共同生活をする場である。彼らは昼間、湖畔を回り、コーラの空瓶を拾い集めては管理人に安くで売り、喫茶店から使い残しのパンの耳をたくさんもらって食事に充てている。

僕も彼らの仲間に入れてもらうことにした。彼らは自分の名前も告げないし、旅に出た理由も言わない。ただヒッピーと同じように、自然の中で誰にも干渉されず、楽しく暮らしているのである。

僕が最初に友達になったのは「ハブ」と呼ばれている男。無口で一見とっつきにくそうだが、見かけによらず非常に親切な男だった。

彼らは皆、久しく米を食っていなかったので、新入りが入ると米をたかるそうだ。

「おい!『北帰行』、おまえ、米持ってるだろ。」

ヒッピーの親分格の「コロンブス」に呼び出され、こう問われた時も、ハブがうまく嘘をついてくれ、僕の貴重な食料を守ってくれた。

阿寒湖にはこんな僕たちとは関係なく明るい歌声であふれていた。学生やOLたちの明るい声がこだましていた。

そんな様子を見ながら、例のコロンブスが僕の右腕をつかんで言った。

「おい、米食いたくないか?」

「また盗むのか?」

突然出た、「盗む」という言葉にドキッとしているとハブが僕の代わりにこう返事をしてくれた。

コロンブスが僕から離れた後でハブが説明してくれた。

「あいつが利き腕をつかまえて何か話すときは命令なんだ。しかも共犯にならないように、直接言いやしない。」

そうか、コロンブスはあのキャンプしている男女から、僕に米を盗ませようとしているのか。

「お前、やるのか?」

「やらなきゃどうなるんだ?」

「あいつは、お前が米を隠しているのを知ってる。」

「え?」

「だから、お前がアイツの命令を断ればほろ馬車は襲われるぞ。」

僕とハブの間で、まるで西部劇の吹き替えのような会話が繰り広げられた。

米を盗むか、北帰行が襲われるか・・・、僕は羅生門の下で雨やみを待つ下人のごとく二つの選択肢の間を行きつ戻りつした。

逃げてもすぐに捕まるだろうし、コロンブスを言葉で説得するのは不可能だろう。北帰行が壊されては僕の旅がおじゃんになる。やはり僕にはお米を失敬する選択肢を採用するしか道はなかった。

キャンプの流し場では相変わらず華やかな歌声が聞こえている。僕は炊事担当の女の子の周りをうろうろし、彼女がカレーの鍋を除きに行った瞬間、米をビニールごとかっさらってきてしまった。

「あれ、ねえ、お米は?」

「そこにない?あれ?どこ行ったんだろう?」

彼女らの声が聞こえる。僕の良心は針でつつかれチクチク傷んだ。一方で必死の僕はこうも考えていた。どうせ彼女らは、また誰かのリュックからビニール袋に入った米を出すだろうと。そんな風にいいわけでもしなければ針が更に奥まで入ってきて、痛みに耐えられなかったからだ。

なぜ断れなかったんだろう、仕方がないと言えばそうかもしれないけど、猛烈に後悔した。コロンブスが憎いんじゃなく、自分自身が惨めに思えた。

その晩、どこで手に入れたのか、山盛りの肉を囲み、皆ですき焼きをした。

米粒がほっぺたについている奴、ただ黙々と鍋をつついている奴、みんな一様に目の前のご馳走に食らいついていた。こいつらこんなに飢えていたのか。

家庭に帰れば、母親の作った家庭料理がお膳の上でいいにおいをしているだろうに、何故彼らはここにいるのだろう。

ハブは語った。

「帰るより、ここにいる方が楽なんだ。ここにいる奴はみんな家庭が複雑なのさ。だからみんな寂しがりやさ。あのコロンブスだって、ワシだって・・・。」

 

9月に入り、僕は阿寒湖に別れを告げた。

コロンブスをはじめ、ほかのやつらは僕の出発を無視していた中、出発の時、ハブだけが見送りに来てくれた。

「元気でやれや。」

握り返してくれたハブの手に力強さを僕は忘れない。

 

阿寒湖と聞くと、今でも、あの時汚してしまった手と、帰れないヒッピーたちを思い出す。

 

 

 

 

 

思い出すこと

北海道入りして二ヵ月が経った。

その間、北帰行はネオントー、帯広を経て幌満に至った。

こう書いてしまうと旅は至って順調に思えるけれど、その間僕たちは様々なハプニングを乗り越えてきたのだった。ネオントーでは砂利道で右車輪が痛められ、あと一キロで帯広に到着するという段階でそれが外れてしまうというハプニングが起こったりもした。

それから広大な十勝平野を抜け、広尾に到着し襟裳岬に向かう道中では遂に北帰行がパンクしてしまい、それを担いで二キロ歩くという体験もした。

北帰行のトラブルは多い道中だったが、そんな時どこからともなく修理を手伝ってくれた人たちの親切を僕は一生忘れない。

そして、その時々に出会った景色の中で、雄大な北海道の自然に心動かされたのは勿論だけど、名もなき人々の生活の一端を垣間見た時、何故だか胸を撞かれる思いがした。

日高山脈がそのまま海に落ち込む岩を切り開き作った道路に波が打ち寄せる場所に、立ち並ぶ民家、こんな狭いところでも生きている人たちがいる・・・・。崖に寄り添うように家が立ち並び、水しぶきを全身で受けながら、昆布取りに精を出す人たち、昆布を干す老人・・・。その息子が東京に行ったまま、帰ってこない話も聞いた。都会にいると何とも思わなかったが、この人たちを見ると、何故か血がたぎってくる。

こんな厳しい環境の中で生きている人間があるのだ。力強く生きながらも、寂しさを抱きながら、それでも人は生きていかなければならないのだろう・・・。

サラブレッドの放牧は新鮮だった。土着のたくましい道産子ばかり見てきたので、サラブレッドは貧弱に見えた。なんだかひょろひょろしていて、中にはアバラ骨の見える奴もいた。よく優雅なサラブレッドと言うが、僕はそうは思わない。草食系男子のようだ。・・・といっても、道産子も草食なのだけど。サラブレッドを見ていたら、都会に生きる現代の若者を連想した。ビューティフル人間とか言って、かっこばかり気にしやがって。僕は雑草のようにたくましく生きてやる。

牧場を通過しながらそんなことを考えたこともあった。

池田、おふくろが泣いてたぜ

稚内には池田の実家がある。

いやおうなしに、アイツの顔が思い出される。

お前は今、どこにいるんだ?懐かしいなあ、お前はあの頃の事覚えているか?朝早く飯を食って、土方へ行ったあの時、道頓堀で一杯飲んで歌ったこともあったよなあ、なあ池田、もうすぐお前の実家に行くぜ・・・。

 

もっとボロ家かと思っていたが新築したばかりの実家が僕の目の前に現れた。

「こんにちわ、僕は、あの・・・、池田の友人の・・・・。」

そこまで告げたら、おふくろさんの瞳がみるみる輝いた。

「タカシも一緒かい?」

おふくろさんの切迫した眼差しに、激しく詰め寄られたような気がして一瞬答えに窮した。

「いえ、僕一人です。」

みるみるうちに、おふくろさんの瞳からは輝きが消えていった。僕が知り得る、池田の事や、僕の事情を話、その晩は帰ってきたおやじさんを交え、池田の話やら、旅の話をしたりで盛り上がった。

 

翌朝の別れ際、池田のお母さんが僕に言った。

「松山さん、あんた、我が子みたいな気がするよ。」

「おばさん、元気でね。池田はもうすぐ帰って来るやろ、楽しみにまっててな。」

つい、おふくろさんとの別れがつらくなって、急に福知山が恋しくなってしまった。出航してからまだ四か月しか経たぬというのに・・・。まだ行かねばならぬ所があるのだ、それに、池田と約束したじゃないか。

この目で、この手で、日本の自然を確かめてくると・・・。