第三章 北の大地の乙女

 

気持ちの良い夜風を浴びながら、北帰行の中でラジオに耳を傾けていた僕は残念なニュースを耳にした。山下清がこの世を去ったという。

僕はアイツの絵が好きだった。自由奔放なタッチや色彩感、眼前の対象をまっすぐな心で紙に写し取ろうとする純朴さは、僕の芸術観にも通じる所があると感じる。山下清は単一表現の美しさを一挙動でつかまえ表現しようとした画家だ。

「僕が第二の山下清になる。」

旅の途中で時折、こんな風に自分に言い聞かせると楽しくなったものだ。

僕は昼間に農家の人がくれたキャベツを噛みしめながら、天才画家の死を悼んだ。インスタントラーメン生活が続き、野菜の味を忘れていた僕の胃袋は、新鮮な北の大地を歓迎したし、とれたてのキャベツの甘みは体中を浄化させてくれる気がした。

胃袋が満たされた僕は、長万部近くの八雲の海岸でまどろんでいた。

夏の夜の静寂の中、北の大地の大海原だけが波音を奏でていた。

 

「おーい、誰かいるのか?」

突然、北帰行のほろの外で野蛮な声が聞こえた。どうせ、面白がってこんな所で何をしているのか、とでも聞くのだろう。この手の質問は散々受けてきて、説明するのが面倒だ。ここは知らぬ顔の半兵衛を決め込むことにした。ところが、僕の狸寝入りをやめさせる誘惑の言葉が聞こえてくるではないか。

「なんだ、寝てるのか、風呂でも入れてやろうと思ったのに。」

「まあ、仕方がないわ、明日、また来ましょう。」

親切なお誘い、しかも女の人の声まで聞こえてきたのは予想外だった。

 「どうやら寝ているようだな、帰るか。」

「ええ、残念。」

女の人の声が若い。僕は外に飛び出した。こう書くと誤解があるかもしれないが、僕は風呂に入りたくてたまらなかったのだ。

「ワシはこの近くのものだが、この子が、キミを風呂に入れてあげたら、というもんだから。」

僕はテンガロンハットにジーンズスタイルのおっさんが喋る傍らにいる人を見た。

美しい瞳、風にそよぐおくれ髪、色白だが健康的で赤らんだ頬・・・。

僕は二十二年間の人生の中で、一番美しい人に出会った気がした。

黒にジャンパーにジーンズという少年スタイルまでがその子の清らかさを引き立てていた。

親切にしてもらって、更に引き立て役のおっさんが傍らにいたから何となくそう感じた訳ではない。どんなシチュエーションでもそう感じたに違いない。北の大地の鶴は、掃き溜めの中でも、真白の雪の中でも一際輝く存在に違いない。

僕は二人の後に連れられて歩く中で、おっさんが美しい人の家の隣に住んでいるということや、彼女の家が牧場を経営していること、今、彼女の家には獣医が来ていて、父親は一緒に酒を飲んでいるから、おっさんが代わりに来た、とい事などを聞いた。

僕はそれに対して愛想よく受け答えしながらも、うつむきながら歩いていた。なんだか自分が恥ずかしかったのだ。

さっき、僕は呼ばれていたのに偉そうに無視を決め込んで狸寝入りしていたのだ。この旅では、多くの出会いがあって、その度、一期一会を噛みしめてきたはずなのに、自ら出会いを放棄しようとしていた、そんな自分が恥ずかしかった。客観的に見れば、僕の取った行動は恥じ入るほどのものでもないだろう。だけど、そんな風に感じてしまったのは、天使の後をついて行ってるからだろうか。

その晩、風呂から上がった後、酒の席に呼ばれた僕は、皆の前で旅のわけを話した。僕の事をよく知ってもらいたくて、いつもより一生懸命、身振り手振りを交え熱っぽく語った。

そして「加藤隼(はやぶさ)戦闘隊」を歌った。僕は歳の割にじじむさいところがあって、歌うのは決まって軍歌か演歌だった。軍隊帰りの彼女のおやじさんはたいそう喜んで、僕と一緒にノリノリで口ずさんでくれた。

美しい人は澄んだ声で「マリモの唄」を披露してくれた。

僕の心臓は鼓動の速さが緩まることなく、胸が苦しかったが

「八雲は素晴らしい、最高です。」

などとありきたりのことを口走り、酒で顔の赤いのをごまかそうとしたので、すっかり酔いつぶれてしまった。

その晩は、おやじさんのご好意もあり、離れの小屋で一泊させてもらうことになった。

「雪子、布団を持って行ってあげなさい。」

雪子、君の名は雪子・・・。

酔いつぶれ、意識も朦朧とする中で、美しい人の名前だけは鮮明に耳に響いた。

その晩、小屋に案内された僕は、雪子さんと「一つ隣の屋根の下」で、色々な事を妄想した。

冷静に考えると、雪子さんは、しばらく風呂にも入らず、汚い恰好で耕運機に乗る僕を偶然見つけ、慈悲の心から施しをしてくれたのだろうが、その時の僕は自分に都合のよい事ばかり考えた。

「雪子さんは、どうして僕を風呂に入れる気になったのだろう。どこかで、僕を見て、ひとめぼれして後を付けてきたのかな?」

挙句の果てには、僕が北海道を回って、また長万部を通る時、久々の再会に涙する彼女ときっと愛の交換をするだろう、というお目出たい物語まで作り上げた後、ようやく満足して眠りについた。この時には、僕はすでに妄想の中で、彼女を「雪子」と呼び捨てにしていたのであった。(続く)

 

さいはての地へ

この年、北海道の夏は雨ばかりだった。気温も低く、霧も多量に発生していたから、峠越えはサバイバルだった。

洞爺湖、中山峠、札幌、名寄(なよろ)音威子府(おといねっぷ)と北上し、雨と霧の中、北帰行はサロベツへ向かった。家並も少なく、果てしなく続く道、時速13キロで走る北帰行は、さいはての地の一点景となった。

 

ようやく雨が上がり、どこまでも続くサロベツ原野に夕日が落ちた。僕の旅行計画では、今夜から、この稚咲内(わっかさない)の浜辺で泊まるのだ。波音がザブンザブン・・・単調なリフレインがさいはての地に辿り着いた旅人の耳にこだまする。

北帰行で寝転がりながら、いつものようにラジオでニュースを聴いた。

台風情報が流れる。

ー九州を襲い、北上中の台風十九号は、東に針路を変え、北海道へと向かっております。

僕は跳ね起きた。冗談じゃない!ちょうどこのサロベツに直撃するじゃないか!風を防ぐ窪地に逃げ込まなければ、北帰行ごと吹き飛ばされてしまう。

翌朝九時三十三分、いよいよ台風は接近してきた。

ゴーゴーと猛々しい風が吹くたび、北帰行のほろがぐらぐら揺れる。

北帰行、頼むぜ、倒れてくれるなよ、風速四十メートルが何だってんだ、古い石原裕次郎の歌が頭を流れた。

五里霧中?七転八倒?満身創痍?四面楚歌?・・・こんな状況をどう表現したらよいだろうか。とにかく修羅場には違いない。それなのに、ラジオでは夏の高校野球の開会式が始まっている。この状況で、快晴を思わせる爽やかな中継は理不尽だが腹が立つ!やけくそな気持ちになって、思い切っておもてに出ると、この雨風の中、僕以外に人がいた。

一人のひげの画家が雨宿りしながら、ハマナスの花を描いていたのだ。

地面にじっとしゃがみこみながら、目は、揺れるハマナス一点に向いている。その人の目には何かに食らいつくような、鬼気迫る執念があった。

それを目の当たりにして、僕はただ「参った」と感じた。

髭の画家は作品を日展に出すと言っていたが、きっと、相当な作品になるに違いない。

僕にあそこまでの芸術に賭ける執念はあるのだろうか?その前に、もともと芸術の才能なんてなかったのじゃないか?

いや、僕だって・・・。

急に雪子の顔が脳裏をかすめた。

 

温泉騒動

 

台風一過の翌日、北帰行は、果てしなく続くサロベツ原野の真っただ中を進んだ。左右に広がる草原で、牛たちが草を食んだり、寝そべったり、赤や青のサイロも見えている。

そうだ、これが北海道なのだ!

僕は、まぎれもない北海道の実感に酔いしれた。

その後、草原をどんどん突き進み、遂に北帰行は日本最北端の町、稚内に到着した。函館に上陸してから今日で丁度ひと月が経過していた。まだ季節は夏なのに、吹く風に、ハンドルを握る指がジンジンしびれた。宗谷岬をまわり、湧別、サロマ湖、能取湖と進む道は穴ぼこだらけのガシャガシャ道で、僕の疲労がピークに達っする頃、ようやく屈斜路湖に着いた。

ここの名物は、砂風呂と露天風呂だ。昼間だと管理人がいて、砂を掘ったり埋めたりしてくれ、当然入浴料を取られてしまう。僕はかゆい背中をもてあましていたので、その夜、人目を忍んでいそいそとスコップ持参で砂風呂に向かった。

ところが・・・

砂を掘って寝転がった所までは至極順調だったのだが・・・僕の鼻孔を奇妙な臭いが潜り抜けた。よく分からないけど、臭い。硫黄風呂みたいに、これが砂風呂特有の臭いなのかなと我慢していたが、生臭い!どうにも耐えかねて出ようとすると、何やら足音が聞こえてきた。そして、事もあろうにこちらに向かってくるではないか。管理人の見回りだったらどうしよう。僕は息を殺して足音が通り過ぎることを祈った。

しかし、僕の願いむなしく、相手の驚嘆と共に、僕の顔は懐中電灯に照らし出した。

「あっ!!」

案の定、管理人だった。僕は何と言って言い訳をしようかで必死だった。

「あんた、そこは下水やで!」

道理で臭いわけだ。起き上がってみると、無残にも米粒やら、野菜のカスが僕の体中にくっついていた。管理人に無断で砂風呂に入ったことをとがめられると思っていたが、相手も、運悪く下水を掘り当ててしまった僕を気の毒に感じたのか、本物の砂湯の場所を教えてくれそこに入るように言ってくれた。

下水にまみれた後に見つけた本物の砂湯から見上げる真砂なす星々は本当に素晴らしかった。「真砂なす数なき星のその中に吾に向かいて光る星あり」と詠んだのは子規だ。だが、僕がこの日見た星は、一つ一つが僕と僕だけの浜辺に降り注いでいるように感じた。

「おれもすっかり夜の男になった」

急に池田がくれた手紙と、あいつの顔が脳裏を通り過ぎた。あいつは今、美しい星を眺める事が出来ているのだろうか?そう考えた時、目前の真砂なす数なき星の一つが微かにかすんで見えた。

霧の摩周湖だなんて

 

摩周湖の朝は美しい。

午前三時、湖面は霧に閉ざされ何も見えない。激しい寒気で吐く息も白い。

午前四時、やや明るくなってくるが、以前として寒さ激しく、ジャンパーの襟を立てる。

そして、午前六時。日の出とともに、荘厳な摩周湖が夜明けの調べを奏で始めた。乳白色のベールが少しずつ水色に変化し、霧は氷上の天使のように軽やかに山に向かって流れ始めた。そして摩周湖が僕の目の前に現れた。

湖の色は刻々と変化する。濃いブルーからスカイブルー、そしてまたダークブルーへ。そして静かに、小さく小さく波打つここは神秘の湖だ。

僕は立てた襟をそのままに、しばらく湖面に見惚れていた。

八月二十二日という日を僕は生涯忘れない。誰も湖のほとり、僕が人生で初めてこの湖面を見た記念日なのだから。

その神秘の湖も二時間も経つと、また霧のベールに閉ざされ、また何も見えなくなってしまった。

それからしばらく経った頃、観光バスが止まり、観光客が一斉に降りてきた。一人のおっさんが肩から下げたラジオから都はるみの歌が流れていた。

「おい、何も見えないぞ。やっぱり霧の摩周湖だ。今日はダメダメ。ああ、残念。」

彼らは皆一様に残念がり、摩周湖を見つている。そして、それにも飽きたのか、五分も経つと記念写真タイムが始まった。若い女性たちは皆、週刊誌で流行りの言葉を遣い、「はるばるやってきたのダ」なんて言いながら、シャッターを押している。

それが済んだら、一様に土産を買い求め、またあっという間にバスに吸い込まれ去って行った。彼らがいなくなった摩周湖は、大移動中のゲルマン人が通り過ぎた後のようで、また静寂が戻ってきた。

「やっぱり霧の摩周湖だ。」なんて知った風な事を言っていたが、彼らが滞在したのはほんの一瞬だ。

僕は午前三時からずっと摩周湖を見つめていたから、二時間ほど湖面を見ることが出来たのだ。

「日本は四季に恵まれていて、北から南まで個性豊かな美しい風景があります。」そう言うのは簡単だ。でも、その景色が一番輝いている季節、一日の時間の中でも最高の瞬間があって、それを体感することは容易ではない。 

それでも僕は、 自然の一番輝いている瞬間に出会い感動したいと思って旅を続けている。そして、その感動の瞬間を、心を込めて、絵や写真の世界で表現したいと思っている。

だから僕は夜明け前から、何時間も湖を見つめ続けていたのだ。

彼らが撮っていた摩周湖の写真は記念写真ではなくて、形骸化した記録写真に過ぎないと思う。いやもっと言うなら、ここへ来ました、という証明写真だ。僕の旅とは別次元の旅が存在しているという事を改めて思い知らされ、不思議に腹立たしくもどかしかった。彼らはきっと土産物を引っ提げて、「摩周湖に行ってきました。」と周囲に言うだろう。そんな時、何だか愛おしいものが汚されたように悲しくなるのだ。(続く)

 

泊めてくれる?あなたのテントで

五日間暮らした摩周湖とも別れを告げ、次の行き先は野付半島だ。

サロベツを思わせる根釧原野は、途中右も左も牧場が広がっている。根室標津を通り、野付半島へ向かうエンジンはすこぶる快調だ。

それにしてもその夜の、ハマナス咲き乱れる浜辺での蚊の大群には驚いた。蒙古軍は蚊の大群に襲われて九州沖を去ったというが、フビライハーンの気持ちがよくわかる。

翌日、トド原へ向かう道中、道が悪く、北帰行は大きく蛇行しながら、道ならぬ、野原を進んだ。途中三十頭ほどの牛が道をふさいでいたのには参った。のんきに昼寝をしているやつもいて、思いっきりブザーを鳴らしてみても、六十個のギョロメが一斉に僕を見るだけだ。

「眠り牛そこのけそこのけ耕運機が通る」と語り掛けてみても、奴らは雀のようには道を空けてくれない。こうなれば、強行突破あるのみ、「退かぬなら退かせて見せよう眠り牛」だ。まず、一番手前の赤牛に北帰行でアタックし、ごしごし腹のあたりを押してみた。最初はびくともしてくれなかったが、しつこく何度も繰り返すと、ようやく「モー」とひと鳴きし、重い体を持ち上げぞろぞろ歩き始めてくれた。それを見て、仲間も大儀そうに歩き始めた。僕は今がチャンスとばかりに牛と牛との間を潜り抜け、トド原へと向かったのだが、なんとなく牛を両脇にゆっくりと耕運機が走り抜ける光景は、ご成婚パレードを彷彿とさせた。牛は決して歓迎ムードでは無かったし、僕の傍らにはしかるべき人もいなかったのだけど・・・。

トド原には、標識が一本もないので、どこがトド原なのか迷いに迷ってようやく到着した。

大正池などなど問題にならない程にあまたの木々が点々と立ち並び、また倒れて横たり、その中に無数の沼がある、そんな光景が僕の視界に広がった。

この景色も含めて、旅先で出会う風景の美しさは、僕の想像などたやすく超えてしまう。

その晩、もう一つ、僕の想像外の出来事が起こった。今晩はこの景色に包まれ、穏やかな一夜を過ごそう、そう決めて込んでいたのに・・・。

夜、テントに戻り、そろそろ寝ようか、なんて考えていた時だった。北帰行の前で、一人の女の子が枯れ木にもたれかかって、星を仰いでいた。観光客は、皆船で帰った後だ。

一瞬、自殺でもするのかと思いどきっとしたのだが、物憂げというよりも、思いつめた目を見た時、これは失恋だと直感した。

「どうしたの?帰らないの?」

つい、声を掛けてしまったのが間違いだった。

「いいの。今日はここで泊まる。」

そこ子は、そんなことをさらりと言ってのけた。その口調は、僕の意向などあずかり知らぬと言わんばかりの勢いがあった。まるで居直り強盗のようであった。

僕も一人ぼっちの旅で人恋しくなっていたところがあったし、夏とは言え、夜は冷える。若い女性に野宿をさせることに、罪悪感を覚えてしまった僕は、宿泊を許可した。

北帰行の中で久しぶりに、人と食事をするのは楽しかった。でも、旅の話をしたり、冗談を言って元気づけようと試みても、彼女は寂しく微笑むばかりであった。詳しい事情など聴かなかったけど。

就寝の時は参った。初対面の、しかも女性と二人きり。最初は一つの蒲団に寝ていたが、心臓が爆発しそうになって、眠りにつくことが出来なかった。丹波出身の僕は山育ち。危ない一夜の大航海などとてもじゃないができない。それよりも、今は一人で静かに山籠もりがしたい気分だ、と無理やり思うことにした。頭をフル回転して、別の部位を稼働させてはならないのだ。僕は意識を頭に集中させるあまり、口数が極端に少なくなってしまった。

結局、布団は互い違いに寝ることにした。まるで三四郎ごっこをしているようだ。僕は最後にはこの人に、「迷える子羊」と言われてしまうのだろうか・・・。

とにかく蝋燭を消して、眠りにつこう。

トド原の夜は静かで、僕が咳払いをしようものなら、百メートル先でも聞こえるような静寂の闇・・・。僕の心臓の高鳴る鼓動も聞こえはしないかと心配だった。

勢いで一人の女性を泊めてしまったものの、目を閉じたら、色々な疑問が頭をぐるぐる駆け巡った。隣の女性は、時折寝返りを打ちながら、眠りについているようだ・・・。この子はどういうつもりで僕のテントにやってきたのだろう・・・、今日出会ったばかりじゃないか、失恋後のやけくそな気持ちで、見知らぬ男に身を任せようというのだろうか?何にせよ、失恋の後で冷静さを欠いているのなら、そっとしておいてあげるのが賢明だ。

正直、紆余曲折というのか、僕の頭の中に、天使と悪魔が代わる代わる訪問した末、天使の契約を受け入れることにした。

でも、心は聖人君子になれても、身体は覇王になることを求めている。不惑の域は四十から、僕はまだ、齢二十二なのだから。

僕は、理性と欲望の天下分け目の合戦を強制的に終わらる為、蒲団から脱失し、本を読むことにした。理性に勝利をもたらすための物理的な解決策を試みたのだ。

マッチを擦り、ろうそくに火をともしたその時だった。

「何ししてんねん!暗くせんと眠れへんがな!!」

まさか・・・、この場で大阪弁が出たのにも驚いたが、これが、失恋女性のいう事か!僕は落胆した。人格の龍は思わぬ場所で顔を出すという。先ほどまで、たをやめぶりだった失恋女性が、突然猛々しいおっさんに豹変したように思えた。これまで捨てることをためらっていた、やましい妄想が全て虚しく消え去って行った。ろうそくの火を再び消した後、僕はぐっすり眠った。

後で聞いたら、彼女は大阪の女子大生で、旅費を浮かすために、最初から計画していたらしい。つまり、一連の失恋風のそぶりも皆演技だったという事か。僕はまんまと騙されてしまったというわけだ。

翌朝、彼女に別れを告げた後、狐につままれたような思いを抱きながら考えた。

僕はもっと純粋な恋がしたい。自然に雪子ちゃんの顔が浮かんできた。

 

大阪を出発してから、早、三か月近くが経過した。北海道の夏もいつの間にか終わりを告げようとしている。この後は初秋の阿寒湖に向けて舵を取ろう。雌阿寒岳の朝焼けの色が僕を待っているから。